Acerca de mí
「私について」
もともと料理は子供のころから嫌いではありませんでした。そのころは仕事にしようとは思いませんでしたが。東京へはデザインの勉強をするために出てきました。色の勉強をしたり、その組み合わせで何色と何色が反対色かとかそういうことをすべて勉強しました。そのときアルバイトをしていたのが日本料理屋でした。ある日調理場の人が一人いなくなってしまって困っていたので手伝うために初めて厨房に入りました。デザインや色の勉強をしていたこともあり、そういった視点からでも日本料理は実は同じものがないということがそこでわかりました。私は飽きっぽいので、変化のある日本料理を追及していくのは飽きっぽい私にはぴったりだと気がつきました。その前に喫茶店でアルバイトもしていて、チャーハンやスパゲッティをつくったりもしていましたが、そちらは毎日毎日同じことのくりかえしでした。日本料理が生まれた日本というのは、四季のある国です。ほかの国はそうもいかない。四季があって季節ごとに材料が変わっていくので、いつも同じものは作らない。日本人は新しいもの好きで、電化製品や携帯電話を見てもわかるように、いつも変化している。日本料理は変化する料理で、変化しつつ根底に残る伝統の味というものを是非感じて食べていただきたい。
「塩味・甘み・酸味・苦味・旨み」
日本料理というのは大人むけの商売であり、ファーストフードのほうがずっと儲かる。味というのは大概で5つある。塩味の塩分の味、甘味、酸味、苦味、旨み。そのなかでもおぎゃあと生まれたばかりのあかちゃんでもうれしい味が塩味と甘みと旨み。初めはそこからでも大人になるにつれて酸味と苦味もおいしい味だとわかるようになる。ただし、商売するには初めの塩味と甘みと旨みさえあればよい。だからファーストフードは酸味も苦味も入れていない。苦味とは何か・・たとえば、山菜も苦味になる。お酢も、はじめはすっぱく感じるけれど慣れてくると美味しく食べられるようになる。自分でも、こういう仕事をするようになって「ああ、酢の物とはこんなにおいしかったんだ」と本当のおいしさに気がつくようになった。こういった味は深いものだけれど商売にはならない。しかし、人間は旨み、塩分、甘みだけで暮らしていてはしまいには味覚障害がおきる。酸味や苦味も含めた深く繊細な味があるのが日本料理であり、日本には四季があり、旬の素材があり、その時そのときの一番おいしい味を食べる。それが本来のあり方なのである。技術の改良で一年中いつでも簡単に手に入るようになったハウスものや季節はずれのものはたしかに便利だけれどそれは少し間違っているように思う。金儲けのために本来のものからはずれてしまうのはよくない。そこをもういちど考え、日本の文化を受け継いでもらいたいし、伝えていきたい。日本料理を伝える側としても、リーズナブルな値段設定や入りやすい店構えをつくり、日本料理をもっと身近に感じてほしい。日本料理の料理人として残していけたらとおもいますよ。日本の将来のためにも、料理するものの使命だとも思います。
「日本料理の衰退について」
長年、日本の終身雇用制により、安泰な会社生活の中で会社のお金を使って官僚などを接待するのに料亭は欠かせない場でした。料亭を利用するのはほとんどが接待といってもいいほどで、気がついたら日本料理は「高いもの」というイメージがつき、それは接待に利用される料亭のイメージから来てしまったものだと思われます。こんなに接待でお金が使えるのは日本だけであり、しかも密室性が値段を引き上げてしまうことになった。だから普通の人や一般の人は日本料理に手が出せず、だから本物の日本料理はなかなかいい形では広まらなかった。ただ、時代の流れとともに、料亭もひとつふたつとなくなっていき、昔料亭で働いていた人が、そこを出て店を持つようになり、リーズナブルで良いものが提供できるようになった。だが、まだ日本料理は高いと思っている人はいる。問題は原材料の価格にもよる。「国産品」はなぜ高いか。採れたお米などはいったん政府が買い上げる。そこで値段が上がってしまう。そして価格競争がないから品質の向上にそれほど懸命にならなくてもよくなる。お米の値段は本当はもっと下げられるのだ。いろんな場面で、本当に会社のため、世の中のためうごいている、という人が減ったような気がする。そのまま、既存のものを何も崩せないまま、何年もきてしまった。未だに天下りなどなくせないのもそのためだ。かつて日本に多くあった、石炭や石油の会社がなぜつぶれたか、考えがカタいからだ。資金もあり、働いている人もいたのに根本を変えようとしないからよくならない。日本料理もそう。根本を変えようとしないから、料亭の値段のまま、高いままで売る。いろいろな「国産品」があまりに高いから、今度は安い粗悪品を仕入れ、「国産ですよ」と偽装して売る。仕入れるものに値段があわない。それを日本政府は変えようとしないのです。
この「雅灯」で、私はできるだけのことをやろうと思う。もっと知ってほしいのです。本当の日本のものを。世界に誇れる日本料理というものを。