Acerca de mí
将来の夢というか、子供のころから、なんとなく手に職をつけたい、とはずっと思っていました。同時に、料理にもずっと興味がありました。やっぱり美味しいものを食べることが好きだったからだと思います。高校生の時、「月間 専門料理」というプロ向けの料理の雑誌を偶然手にすることがあり、「美味しそうだなー。キレイだなー。こんなキレイな料理、作れたらすごいことだなー」と、感心して紙面を眺めたりしました。その中でも、和食の美しさには特に魅せられたものです。
そして、高校を卒業してすぐ、山梨の温泉旅館にて料理の修行の道へ入りました。修行といってもはじめは包丁も握らせてもらえず、掃除や皿洗いなどの下働きの日々です。今じゃあ考えられないかもしれませんが、当時はそういうところから料理の修業の道ははじまったものです。
2年ほどそこで働き、そこから縁で東京に出て神田・神保町の「賀多勢」で、今度は焼き方から働き始めました。料理長(オヤジ)と煮方の先輩と焼方の自分の、三人だけの厨房。小ぶりな店でしたが、ここは私の第二のホームといっていい、客にとっても自分にとっても家庭的で暖かい懐石料理屋でした。
しばらくそこで働きましたが、オヤジに「一度、俺と同じような立場になって外で勉強して来い」と言われ、外の世界を見てくるようにと別の店に出されます。それは親方の愛情のようなものでした。そこから赤坂の料亭「福住」へ行き、5~6年働いた後は日本橋の「明石」、その次に永田町の「瓢亭」で3年ほど働いて、日本料理の料理人としてさらに腕を磨きました。
そして、日比谷にオープンしたしゃぶしゃぶ店「吉祥」の新オープンに伴い、再びオヤジに呼ばれます。「厨房内での俺の次の責任者、二番手として戻ってこい」。はじめの店「賀多勢」とは違い、こんどの「吉祥」は厨房の仲間が15人。そんな中で、自分が再びオヤジの元で、二番手として働けるまでに成長したことを誇りに思いました。オヤジには本当に世話になったし、 感謝しています。
今度は、自分がこの「金龍」で、オヤジのように尊敬される料理長として腕を奮い、美味しい料理といい空間を作っていきたいと思います。